日本の総理大臣だった原敬元総理大臣からリーダーシップを学ぼう!ヘアサロンオーナーの向山かおりさんとも共通する力!
どうも!
でかだいずです♪
前回の記事はこちら♪
https://charenge-person.seesaa.net/article/202111article_4.html
今回は100年前の日本で総理大臣をやっていた原敬氏についての内容をやっていきますね。
原敬氏はヘアサロンをはじめとして複数社を経営されている向山かおりさんのようにかなりすごいリーダーシップを発揮して日本を率いてきた総理大臣です。
その原敬氏のリーダーシップの秘訣をまとめた記事がありましたので、紹介しますね!
原敬を首相に押し上げた「聞く力」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc765373c30c2c31c72dd7fee8e4bb79b8ea503e
それでは、内容を確認していきましょう!
原敬元総理大臣はどんな人物だったのか?
それでは、原敬元総理大臣はどのような人物だったのでしょうか?
記事の冒頭にはこのように書いてあります。
100年前にパンデミック(世界的な感染爆発、スペイン風邪)に罹患(りかん)しつつも強力なリーダーシップを発揮したのが原だった。ただトップまでの道のりは悪戦苦闘の連続だった。それでも挫折のたびに指導者としての教訓を学び取り、最後に原を首相の座に押し上げたのは「聞く力」だったという。
かなりすごい人物だったことがうかがえますね。
今だったらコロナウイルスみたいな状況でしょうけれども、リーダーシップを発揮して、困難に立ち向かった人なわけですね。
それでは、Wikipediaではどのように書かれているか、確認してみましょう。
原 敬(はら たかし、1856年3月15日〈安政3年2月9日〉- 1921年〈大正10年〉11月4日)は、日本の外交官、政治家。位階勲等は正二位大勲位。幼名は健次郎(けんじろう)。号は一山、逸山(いつざん)。「はら けい」と音読みが用いられるケースもある(原敬記念館、『原敬日記』など)。外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣(第11・16代)、衆議院議員、内務大臣(第25・27・29代)、立憲政友会総裁(第3代)、内閣総理大臣(第19代)、司法大臣(第22代)などを歴任した。『郵便報知新聞』記者を経て外務省に入省[1]。後に農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得た。陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後退官。その後、発足時から政友倶楽部に参加して政界に進出。大正7年(1918年)に総理大臣に就任。戦前期日本の貴族制度であった華族の爵位の拝受を固辞し続けたため、「平民宰相(へいみんさいしょう)」と渾名された。大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった青年・中岡艮一に襲撃され、殺害された(原敬暗殺事件)。満65歳没。墓所は岩手県盛岡市の大慈寺。古河鉱業(現:古河機械金属)の副社長にも就いていた[2]。
原敬:https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%258E%259F%25E6%2595%25AC%3C
すごい政治家だということがわかりますね。
「平民宰相原敬先生」と呼ばれるほどの有名な総理大臣だったようです。
首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。結果的に、満25歳以上の成年男子全員に選挙権を与える普通選挙法の施行は、憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。
とあるように、国のための政治家として生きていて、必ずしも国民の期待した政策を行わなかったというのが史実のようですね。
記事に戻りましょう。
記事では原敬元総理大臣のリーダーシップについての根本について記載されています。
「原は『閥族からの脱却』を目指してキャリアパスを築いていきました。薩長閥のほかにも陸軍、官僚、貴族院、ライバルの憲政会などとも闘わねばなりません。自党の政友会内にも強力な政敵が存在しました。ですから、ただ闇雲に突進したのではありません。閥族とも時に妥協・協力しながら政党政治を確立していったのです」
目的意識があって政治家への道を進んだわけですね。
やはり、政治にも「この国をどうしていきたいのか」という明確なビジョンが重要になってきていそうです。
「いわゆる『我田引鉄』は実態とは乖離(かいり)した評価であることが、現在では明らかになっています。全国各地から数多く寄せられる鉄道プランの中から、必要不可欠なものを選択したのが実態です。ただ国内の交通インフラ整備は原の重要な政策テーマで、各地の物産を手早く流通できる全国網の早期確立を目指しました」
原敬元総理大臣といえば「我田引鉄」ですけれども、実際はネガティヴなものではなく、国内のインフラ整備のための重要な政策だったわけですね。
実際、現代でも新しい領域を開拓していく人たちは謂れのない非難を浴びますね。
Youtuberの先駆者のHIKAKINさんとか、ちょっと古ければライブドアの堀江貴文さんとかが該当しそうです。
それほどの才覚と先見の明を持った原敬元総理大臣ですが、やはり挫折を味わっているようです。
次の項目で見ていきましょう。
原敬の暗殺場所に掲げられたプレート(東京駅)
原敬元総理大臣の挫折から学ぶリーダーシップ
原元総理大臣は3度の挫折を味わっています。
ヘアサロンを経営されている向山かおりさんも挫折を味わって、そこから学び取って今のトップリーダーとしての功績があります。
それでは、原元総理大臣が大切にしていたことについて、その挫折から読み解いていきましょう!
「第4次伊藤内閣(1900年)で原は外相候補で、ポスト獲得のために盛んに運動したものの外相になることはできませんでした。第1の挫折です。原因は大阪毎日社長の後任問題でした。原は発行部数を3倍に伸ばした功労者でしたが、後任候補が長らく敵対した人物だったので猛烈に反対し、相手が内定済みと聞くと社長居座りを示唆するほど感情的でした。後任の中間派社長決定まで収拾に時間を要しました。その後の原は、好き嫌いの感情を制御するようになります。もっとも『原日記』にはあけすけに心情を吐露していますが」
僕も向山かおりさんからよく【気分感情で動くのはアマチュアだ】と聞いています。
実際、原元総理大臣も挫折からそれを学び取ったように感じますね。
次の内容を見ていきましょう!
――第2次西園寺内閣は総選挙にも勝利し長期政権も期待されました。しかし現実は1年3カ月で退陣しました。「第2の挫折でした。陸軍が大幅な財政出動を要求する『二個師団増設問題』がカギでした。当時の陸軍大臣が単独辞任し、内閣総辞職に至りました。ただ原は西園寺首相とともに、あえて負け戦(いくさ)を選んだフシがあります。妥協できそうでも見送ることで、軍備より民生重視の姿勢をアピールしました。原はこの問題で、陸軍やそのバックの元老・山県有朋(1838年~1922年)ら強大な敵方との闘い方を学んだでしょう。原の政略は一直線でなく、より重層的になっていきました」
ここで政治家としての戦い方を学んだようですね。
民主主義、議会制政治がまだまだ未熟な時代の話ですから、それに見合った戦い方があることを学んだわけですね。
――第3の挫折は第2次大隈重信(1838年~1922年)内閣時の1915年の総選挙ですね。政友会新総裁の原は、維新の激動をくぐり抜けた大長老である大隈に翻弄され大敗しました。「選挙は原の得意分野で、ここまで全勝でした。しかし大隈の方が一枚上手でした。遊説に赴けない地域には、自ら『であるんであるんである』というお得意の口調の演説レコードを配布し、減税策も打ち出して一種のブームを作りました。警察OBの内相を通じて大規模な選挙干渉と買収にも踏み切っています。一方の原は冷徹、独裁、傲慢、空威張りと言われ、遊説もままなりません。結局議席を大きく減らしました」「ただ原は敗北をバネに党改革を進めます。若手の実力者を抜てきする一方、政務調査会の機能を強化し政策立案能力を高めました。原自身も『聞く力』を意識的に高めました。党員とは定期的に茶話会を設け、自宅は中堅から若手代議士のたまり場になりました。訪ねる客は区別せず8畳の応接室に1人ずつ通し、膝を崩さず、あくびもせずに耳を傾け、帰途は玄関まで見送りました」
聞き手に徹するというのは、なかなかむつかしいことだと思います。
原自身も『聞く力』を意識的に高めました。党員とは定期的に茶話会を設け、自宅は中堅から若手代議士のたまり場になりました。訪ねる客は区別せず8畳の応接室に1人ずつ通し、膝を崩さず、あくびもせずに耳を傾け、帰途は玄関まで見送りました
特にこの部分は個人的にすごいなと思います。
ここまでしてくれる人に、魅力がないわけがありませんね!
いくら能力があったとしても、人間的な魅力がなければ世の中では普通重要なポストに就くのは難しいと思います。
向山かおりさんも同じように聞き上手なのですが、やはり聞き上手の人はリーダーシップを発揮しているなと改めて感じました。
聞き上手になった原元総理大臣は、最後は残念な結果に終わってしまいましたが、その能力を存分に発揮しながら日本の議会制民主主義の基礎を作り上げていきました。
――最初の訪問客には「真っ先に君の話を聞かねば」と語りかけ、最後の客には「じっくり聞かなければならないから待ってもらった」などと話したとされています。
それほど【聞く事】を重要視した原元総理大臣ですが、リーダーシップを発揮している人は共通しているところがあることがわかりましたね。
まとめ
今回の内容はいかがだったでしょうか?
挫折や失敗はちゃんとそこら学び取れば成功する元になるんだなということと、【聞く力】が魅力的な人物になっていくには重要なのだなとわかりましたね。
向山かおりさんも【聞く力】を0から鍛えてきたと聞きますし、原元総理大臣も同じく癇癪持ちのところから【聞き上手】になってきたことがわかります。
僕もしっかりと【聞く力】鍛えて、魅力的な人物になります!
今回は以上です♪
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